– 異世界に召喚された英雄たちが紡ぐ物語 –

  1. 小説

21. 「光の遺跡へ」Ⅱ

霧の晴れた沼は、大きいと思っていたけれど予想より更に大きかった。

カディナという名前らしい沈黙の沼の守護者は、俺に向かって手招きする。
俺は頷いて彼女の方に行こうとする、が。

「待ってくださいませ、ジークさん」

とグレイスに呼び止められた。

「何だ?」
「試練で何をするかも分からないのですから、そのまま行くのは危険です。こちらをお持ちください」

グレイスが差し出したのは、アヒムから貰って、回復魔法が使えるのはグレイスだけだからと預けていたリボークブレスレットだった。
確か、致死レベルのダメージを1度だけ完全に無効化するという効果があるとアヒムは言っていた。

「ありがとう。じゃあ……借りていくよ」

グレイスからブレスレットを受け取って懐に入れると、

「ブレスレットを使うような事態にならないのが一番大事なんだからね」

とイーリスに釘を刺される。

「わ……分かってる」
「もしジークが失敗してもオレらが行くから、ヤバくなる前に戻って来いよ?」
「ああ、気を付けるって」
「でもジークだから無茶しそうだよねー、ボクのエレメントくっつけてあげられたら良いんだけど」
「……ベルにまでそう思われてるのか、俺は」

自業自得じゃない、とイーリスがぼそっと呟いたのが聞こえたけれど、出会ってすぐに怒られているから反論できない。

「……そろそろ、始めたいのだけれど」

カディナにそう言われて、俺は急いでカディナの元に向かった。

「ええと、よろしく頼む。……カディナ、って呼んで良いか?」
「呼び捨て……」
「あっ、すまない、それならカディナさんと……」
「……カディナで……良いわ……。準備は、良い?」
「ああ、それで、俺はどうしたら良いんだ」
「そのまま……立っていて……」

言われた通りに立っていると、カディナは突然、どん、と桟橋から俺を突き飛ばした。

「……は?」
「ジーク!」
「おいっ!?」
「ジークさん!」
「うわあああ!」

至って平静な顔をしているカディナと、その後ろから驚愕と焦燥の入り混じった仲間達の声が響く。
俺は、何が起きているのか分からないまま、背中から水面にばちゃりと落ちた。
まずい、と思考が働き始めたのは、頭まで完全に水の中に入ってからだった。

咄嗟に手を振り回す。
水の上に出なくてはと、呼吸をしなくてはと焦る。

だけど、何故か俺が浮かぼうともがけばもがくほど、するすると、水の中に沈んでいく。
まるで何かに引っ張られているように、自然に。
防具を外せば浮けるかもしれない、とベルトを外そうとするが、革が水を吸ってしまったせいか、思うように引っ張れない。
ただ、不思議なことに、水底に沈んでいくのに、息苦しさを感じなかった。
水の纏わりつくような重さと冷たさは感じているのに、まるで魚か何かになったように呼吸ができる。

その不自然さにようやく気付いた頃、今度は俺は、急激な眠気に襲われて、抵抗する間もなく意識を失っていた。

「う、う……」

顔が、何かざりざりとしたものに触れている。
その感覚が不愉快で手を伸ばそうとして、俺は、自分がどこかに横たわっていることに気が付いた。

闇の遺跡で落ちたときと言い、今日は落ちたり気を失ってばかりだ。

気絶は身体に良くないと聞いたことがあるが本当だろうか、と変なことを思い出しながら、俺は身を起こした。

そこは、奇妙な場所だった。
俺はカディナによって沼に突き落とされたはずなのに、そこは空気があり、地面は乾いてざりざりとした砂の感触がある。
辺りは薄暗く、上は……どれくらいの高さがあるのか、分からない。

自分の腰に手をやって、ちゃんと剣があることを確認する。
試練が何なのかは教えてもらえなかったが、ここで何事かが始まる予感はあった。

ここで待っていれば良いのだろうか、それとも、この場所を少し探索するか、と前には何もないことを手を伸ばして確認しつつ立ち上がる。

「おーい」

声を張り上げてみるけれど、少し反響しただけで、返事は返ってこない。

と、微かに、じゃり、と砂を踏む音が聞こえた。
あまりにも微かで、一瞬気のせいかと思ったけれど、耳を澄ましていると再びじゃり、という音がした。

しばらくすると、一定の間隔で聞こえるじゃり、じゃり、という音が足音だと、はっきりと分かるようになる。
誰か近づいてくると認識した俺は、剣の柄に手を掛ける。
そして、後ろだ、と剣を抜きながら振り返った。

「……え?」

何かが後ろにいるだろうと確信していた。あるいは、誰かが。
だから、後ろに人が立っているのには驚かない。
驚いたのは、立っている人が、俺と同じ顔をしていることだった。

「俺……?」

思わず、相手に向けた剣の切っ先が震える。
すると、俺とそっくりの顔をしたそいつは、にや、と笑い、剣を抜いて俺に向かってきた。

「うわっ」

咄嗟にガードするが、バランスを崩して後ろに転倒しそうになる。
だが、何とか踏み止まると、足腰に力を入れて押し返す。
「く、ぅ……!」

押し返すが、また逆に押し返される。
一進一退で圧したり返されたり、俺と相手の力のは恐らく同等らしく、決定的に押し切ることはできないが、逆に押し切られることもない。

だが、いつまでもこの状態が続いたら、俺の体力が尽きる。
俺と同じ顔をした相手がどれくらい体力があるか分からないので、もしかしたら俺とほぼ同時に力尽きるかもしれないが、そうだという確証もないのに試すことはできない。

俺はこの押し合いの状況から抜け出そうと、ふっと身体の力を抜いた。
そして、押してくる力を利用して相手を転がすと、俺は間合いの外まで逃げる。

「はぁ……はぁ……」

息を整えながら、次の相手の動きに警戒する。
向こうは転がってもすぐに立ち上がって、余裕さえ見える。

「何者なんだ、お前は」
と問いかけてみるが、応えは無く。
そいつは、俺とそっくりの顔に、俺がしないような表情を浮かべて剣を構える。
そして次の瞬間、一気に距離を詰めてきた。

「重い……っ」

相手の突きの構えからファストスタブが来る、と判断して、勢いを殺そうと剣を振り上げる。
だが、思ったように突きの勢いを削ぐことはできない。
想定以上に相手の突きが重く、何とか軌道を逸らせるので精一杯だった。
それでもファストスタブが俺に直撃するのは回避し、逆に俺の方からスプラッシュで斬りかかる。
今度は向こうがそれを難なく弾き返す。

何度か斬り合ううちに、俺と相手の力量はほぼ互角であることが分かって来た。
いや、力の強さは相手の方が強いと感じるが、技術は互角なので、俺も相手も、決定打を繰り出せていない。

ただ、俺が向こうの力量を図りながら、彼を傷つけたらどうなるか分からない手探りの状態で防戦に入りがちなのに対して、向こうは全く躊躇いなく俺に突っ込んでくる、という点が違っていた。
全く、怪我をするとか、怪我をしたら周りはどう思うかなんて考えていない、自分しか戦う者はいないとでも思っているような躊躇のなさ。

こちらからも反撃しないと押し負ける、と相手の動きを注視して、避ける。
そして腕を狙って剣を振る、が。

「何で、俺の腕、が」

確かに相手の腕に斬り付けた、そして向こうは為す術もなく俺の剣を受けて、腕が傷つくはずだった。
でも、左腕に痛みを感じたのは、俺の方も同じだった。

「何だよ、これ」

俺が訳の分からなさに戸惑っているのと反対に、向こうは俺が戸惑うのを見てにやにやとねばつくような笑みを浮かべている。
俺もあんな顔ができるのだろうか、と一瞬興味が湧くが、それどころではない。

今の一撃で、俺は嫌なことを考えてしまった。
もしかしたら、こいつを倒したとしたら、そのダメージは全て俺に返ってくるのではないか、と。
そう思うと、攻撃の手が怯んでしまう。
その一方で、相手は手を休めることなく俺に突っ込んでくる。

受け流しきれなかった剣は俺の太腿を少し掠ったけれど、それで動けなくなるほどでもない。
相手が体勢を崩したのを見て、俺は反撃に転じる。
俺の剣が相手の顔を掠めて傷つけると、俺の頬もぴりっと痛む。

「やっぱり、向こうを傷つけると俺も傷つくんだな」

一旦距離を取り、痛む頬に指で触れれば、ぬるりとした感触と覚えのある鉄の匂いがした。

では、俺の太腿を相手の剣が掠ったときの傷はどうか、と相手の太腿に視線を向けると、じわりと血が服に滲んでいるのが見えた。
つまり、互いにダメージを受ければそれは互いに共有されるということだ。
これが試練だと言うなら、俺の勝利条件は何なのだろう。
攻撃をしても攻撃を受けても俺にもダメージが入るのなら、死なないためには逃げ回るしかない。が、そんなことをしていても、試練は終わらないだろうし、本当にどうしたら良いんだ。

「カディナは試練の内容は知らないって言ってたけど……今まで試練に挑んだ人は、どうしてたんだろうな」

考えをまとめるために、わざと疑問に思ったことを声に出してみる。
俺が初めてこの試練に挑んだ、ということはないと思うけど、全員が俺と同じ試練を乗り越えたのか、あるいは乗り越えられなかったのか、もしかしたら俺とは違う内容の試練だったのか、とか。
ぐるぐると色々なことを考えながら、また剣を受け止める。

しかし、いつまでも斬り合いを続けているわけにはいかない。
俺と違って向こうは、傷つくのもお構いなしに突っ込んでくる。
何か、何か弱点を探さないと。

「……ん?」

弱点を探さなければと相手をじっと見つめているうちに、俺はふと、違和感を覚えた。

どこがどう変なのか、まだ分からないけれど。

「お、りゃっ!」

俺もファストスタブを繰り出すが、簡単に弾かれる。
しかし、身体を反転させながら剣を勢い任せに横に振ると、俺の剣は相手の胸当てに当たった。
剣を取り落とすように腕を狙ったつもりだったから、身体に当たって一瞬ひやっとしたけれど、俺の攻撃はカツンと軽い音を立てて無効化された。

俺が安堵して一瞬力を抜いたのを見抜いたように、相手はにやりと笑うと、俺と同じように剣を横なぎに走らせた。

「うぐっ」

衝撃が、思い切り胸に伝わる。
胸当てのおかげで怪我はしなかったけれど、胸当てに触れると、剣を受けた部分が大きく抉れるように傷ついていた。

また当たったら胸当てが壊れるかも、と考えて。

「……あっ」

そこでようやく、俺は違和感の正体に気付いた。

「以前の、俺の装備だ」

俺と同じ顔をした相手が身に着けている装備は、今の俺の装備ではない。
静寂の森に向かう前に町で売った、アヴァベルの塔で使っていたときの装備だ。

売り払った方は、重いが丈夫で、弱いモンスターの牙や爪くらいなら傷もつけられなかった。
今は逆で、軽く、筋力の低下した俺でも邪魔に感じないほどだが、傷もつきやすい。無茶な戦い方をしたり、物凄く強いモンスターや敵と戦ったら壊れるだろう。
剣も同様で、今、俺が使っているのは軽くて振りやすいが、岩なんかに振り下ろしたりしないように気を付けないと折れる。

こちらで買い物をしたときに、初心者向けではあっても、できるだけアヴァベルの塔で使っていたものと似た、俺に馴染んだ物に近いデザインの物を探したから、見た目の違いはほとんどなく、はっきりとした違いを分けるのは材料しかない。
だが、逆に、お互いを傷つけるほど激しく戦えば、俺の装備が安物なのは目に見えて明らかになる。

俺に一瞬隙が生まれたのを見て相手が振るった剣は、再び俺の胸当てを抉る。
俺は慌ててそいつから距離を置いた。
今のところは何とか対等に戦えているけれど、装備の違いがやがて勝敗を分けることになるだろう。
その前に、打開策を考えなくてはと、必死に考えを巡らせる。

「向こうの俺が持っているのは静寂の森に向かう前の装備……つまり、それより後に手に入れた物は、持っていない?」

俺は、道具入れの中に入れたブレスレットのことを思い出す。
俺と同じ姿をした相手が、俺の過去の姿を写したものだとしたら、ブレスレットを持っているのは俺の方だけの可能性がある。

それに賭けて、俺の最大限の力で相手を倒す。
もしも向こうも復活する手段を持っているとしたらまた何か方法を考えなくてはならないが、俺の姿を写した存在だとしたらそんな魔法のような能力はない、はず。

「……いや、多分、とか、きっと、とか考えていても仕方がない、な」

迷いで剣を鈍らせたら、ただ互いに怪我をするだけで終わってしまう。
一度だけ致死のダメージを無効化、ということは、死を覚悟するほどの大ダメージを入れないと、ブレスレットの力は発動しない。
きっと物凄く痛いだろうな、と思う。
致死レベルのダメージだ、アヴァベルの塔からこちらに来る直前、コボルトの棍棒で思い切り殴られたのなんか比べ物にならないくらい痛いだろう。

「俺は……いつまでも、ここにいられない」

俺が沼に突き落とされたのに焦っていた仲間達。
連れ去られた女神様の安否。それから……リオン。
沼からここに来て、どれくらいの時間が経ったかは分からないけれど、リオンを魔王になんかさせない。

試練を終わらせるために俺は深呼吸をして、剣を構え直した。

向こうも同じように構えると、腰を落としてオーガスイングを繰り出してきた。
俺は相手をぎりぎりまで引き付けて、地面に剣を突き立てる。
すると、一瞬だが、激しい爆発が起きる。
フレイムバーストという、俺が唯一使える、魔法っぽい技だ。

本来は開けた場所で、敵が周りにたくさんいるようなときに使うのが効果的だけど、今は爆発で相手を怯ませるのが目的だ。
目論見通りに咄嗟に爆発から自分の顔、というか目を庇おうと腕を上げて隙だらけになった相手に、俺はレイダーファングを喰らわせた。

上下に素早く剣を動かすのは、今の俺でも軽い剣を使っているのだから難しくない。
ただ、致死レベルのダメージを与えるには、強く踏み込んで斬り付けなければならない。
フレイムバーストはそのための目くらましだった。

「うおおおおお!」

レイダーファングは完全に、相手に直撃した。
最期の一撃を振り下ろした瞬間、俺とそっくりのそいつは倒れ、そして、俺の全身にも激痛が走る。
俺も剣を持っていることもできずにその場に倒れる。

と、ころころとブレスレットが道具入れから転がり出て、俺の顔の横でぱたんと倒れた。
それとほぼ同時に、俺と斬り合っていたそいつが光の粒になって消えた。

そいつが消えたのに続いて、ブレスレットがぱきんと音を立てて壊れた。
壊れるときに強い光を放ち、その光が回復魔法だったかのように俺の全身の痛みが消えていく。

「助かったよ、アヒム……」
心から感謝していると、身体が泥のように重くなる。
また何かの力で意識を失うのか、と何となく理解しつつ、俺は目を閉じた。

眩しい、と思ったと同時に、俺は飛び起きていた。

「……え? え? ここは……」
「ジーク!」

どこだ、と言う前に横からイーリスの声が聞こえて、俺はそちらを見た。
イーリスだけじゃない、グレイスもベルも俺の顔を見てホッとした様子で、背中を支えてくれたマキアが

「お前さん、急に沼から浮かんでくるみたいに戻って来たんだけどな、声をかけてもぴくりとも反応がないから心配したんだぜ」

と教えてくれた。

「そうだったのか……そうだ、試練は、俺は乗り越えられたのか……?」

カディナの姿を探して視線を巡らせると、カディナは俺の斜め後ろにいた。

「ええ、合格……よ……。お前達が、魔王を封印するために……ここにいると、語ったのは……真実であると、認めるわ……」

そしてカディナは、音もなく俺の前に移動すると、すっとしゃがみ込んだ。

「これを……授けましょう」

カディナが俺に差し出したのは、木で作られた大きな鍵だった。

「鍵を持って……あの、大樹に向かって、進みなさい……そうすれば、光の遺跡に通じる扉が……見える……。この鍵で、光の遺跡への道は……開かれる……」
「ありがとう、カディナ」
「それから、光の遺跡は……幻術に覆われている……。分かれ道や曲がり角があったなら……必ず、道のない方の壁を調べて……そうすれば、光の器のある祭壇に、行けるから……」
「そんな大事な情報まで……分かった。必ずそうする」
「魔王を……封じて、この世界に、平和を……」

カディナの言葉に、俺達は力強く頷く。

「ええ、きっとやり遂げてみせるわ」
「ありがとうございます、カディナさん」
「まあ、がんばってみるさ」
「魔王が世界を征服し終わっちゃったら、ここの綺麗な空気も無くなっちゃうんでしょ? がんばらないとねー☆」

そして俺は、マキアの手を借りて何とか立ち上がった。

「大丈夫か、ジーク? 何なら少し休んでも……」
「いや、リオンに追い付かないと……ダメージはブレスレットが受けてくれたし、少し疲れたくらいだから、もう進める」

俺もカディナに

「色々とありがとう。カディナが教えてくれたこと、きっと役立てるよ」

と礼を言う。

そして、光の遺跡に入るため、大木に向かって歩き始めた。

「あ、そうだ、グレイス」
「はい?」
「ごめん……ブレスレット、使っちゃって、返せなくなったんだ」
「そうでしたか。でもそれは、ジークさんを守ったからなのでしょう?」
「ああ、あのブレスレットの力がなかったら、生きて帰れなかったかもしれない」
「それならば、あのアイテムの役割を果たしたということですわ。元々、わたくし達全員にアヒムさんがくださったのですから、ジークさんのために使われたのは本望でしょう。謝らないでくださいませ」
「……ああ」

にこにこと笑っているグレイスに俺は小さく頭を下げる。

「そのおかげでジークは生還、試練達成で光の遺跡の行き方も分かったんだぜ」
「謝るんじゃなく、アヒムにお礼を言ったら?」
「そうだな、もしまた静寂の森の方に行くことがあったら、花でも供えたい」
「そのときはリオンも連れていこうねー☆」

光の遺跡の行き方が分かり、俺達はだいぶ明るい気分で沼を迂回し続けたのだった。

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