ジークが沈黙の沼で試練を受けていた頃。
リオンは、霧がかかって足元が悪く、何より精霊族の守護者のいる沈黙の沼を避けて、光の遺跡に向かっていた。
女神を拘束して連行しているが、女神は抵抗する素振りも見せず、大人しくリオンと行動を共にしている。
「……ここらで、少し休もうかな」
湖と、湖の中から生える、光の遺跡に通じる扉である大木が見えたところで、リオンは腰を下ろせる場所を探した。
すぐに丁度良い高さの岩を見つけ、リオンと女神は腰を下ろした。
「……貴方は、何を考えているんだ」
「何を、とは? 私はいつでも、アルメスの平和と安定のことを考えておりますが?」
「そうじゃない。貴方は、僕が魔王側の存在だと、気付いていたんじゃないか。それなのに、ジーク達に伝えず、むしろ、僕の同行を促していた。それに今も、貴方は逃げようと思えば、こんな紐の拘束なんて何の問題もなく逃げられるはずだ。それなのに、どうして大人しく僕と一緒にいるんだ?」
リオンが尋ねると、女神はどこか悲しそうに微笑んだ。
「貴方の魂は、まだ闇に染まりきっていない、と私は感じておりましたから」
「そんなわけがない……魔王側の誘いに乗って精霊族の村を見殺しにし、1人で逃げ出した上にジーク達を騙して、闇の器を奪い、貴方を攫った……そんな僕の魂が、闇に染まりきっていない? 賢いモンスターなら、俺の魂が魔王側にあることを察知して貴方は、少し呑気すぎる」
「そうでしょうか。私には、ジーク達と一緒にいたときのリオンの態度が、全て演技だとは到底思えませんでした。一緒に戦っていたとき、高揚感や連帯感を全く感じませんでしたか? 野営のときに貴方が食べられる木の実を教えてくれたのは、ジーク達を騙すためでしたか? 貴方を信頼して眠っているジーク達のために真面目に寝ずの番をしていたとき、貴方は彼らを騙していましたか? 闇の遺跡でベルやグレイスの身を案じてくれた貴方は、演技をしていたのですか」
「そ、そんな些細なこと、どうでも良いだろう!」
「いいえ、良くありません。だって、ジーク達は、リオンを追っています」
「それはそうだろう、僕は魔王になると宣言したのだから、僕はもう彼らの敵……」
「いいえ、貴方を、今も仲間だと思っているからです」
女神にきっぱりと言われ、リオンの表情が強張る。
「ジーク達の気持ちを、貴方も感じていたでしょう? 貴方を利用するのではなく、虐げるのでもなく、蔑みもせず、仲間として迎え入れた……ごく普通の、仲間として。貴方も、自分のできることでそれに応えようとしているように見えました」
「違う……違う」
「リオン、今ならまだ間に合います、魔王になるなんて止めてください。貴方は、魔王になって自分を苦しめてきた世界に復讐して……それで、幸せになれますか? 恐怖を与えて謝罪や贖罪をさせたとして、それが本心からではないこと、貴方には分かるでしょう。それならば、ジーク達と共に魔王を封印し、誰からも貶められない英雄となって、貴方を軽んじた方々を見返す道もあるのではないのですか?」
真摯に女神に説得されて、リオンの視線が泳ぐ。
やはり彼の心はまだ揺らいでいる、と確信した女神は、更に説得を試みる。
「今からでも……ジーク達の元に戻りましょう。騙したことを誠心誠意謝罪すれば、ジーク達はきっと貴方を受け入れてくれるはず……」
そう言いながら、縛られた両手でリオンの腕に触れようとする、が。
リオンは、女神の手が触れる直前、それを拒絶して女神の手を振り払った。
「やめろ!」
「……リオン……」
「僕は、そんな口車に乗ったりしない。誠心誠意謝罪すれば受け入れられる? それなら、どうして村に受け入れられるために努力していた僕が混血というだけで無視されたり石を投げられたりするんだ! どうして両親は僕を受け入れてくれなかったんだ! 誠意なんて暴力の前では無力なんだ、だから貴方も魔王に勝てない!」
虐げられてきた恨みを全て吐き出す激しい言葉を女神にぶつけて、リオンは俯く。
しばらく、痛みを堪えるような表情を浮かべていたリオンだったが、やがてその表情を消し去ると
「そろそろ進もう」
と自分に言い聞かせるように呟いた。
リオンは女神の腕を引くと、再び大木に向かって歩き始める。
大木までは既にさして距離もなく、わずかな時間歩いただけで、大木の生える湖に到着した。
リオンはそこで一旦足を止めると、ぶつぶつと何かを唱え始めた。
「リオン! それはいけません!」
リオンが何をしているか気付いた女神は、リオンを止めようとする。
だが、女神とは言え、強制的に拘束したり、意思に反した行動を取らせるような力は使えない。
だから女神は直接リオンに迫って、詠唱を止めさせようとする。
しかしリオンは女神の手を逃れ、そのまま詠唱を続けた。
すると、地面の中からモンスターが現れた。
「この大木に近づく者がいたら、必ず倒せ」
リオンの言葉に、モンスターは理解をしたかのような動きを見せる。
それに頷くと、リオンは女神を引きずるように連行していく。
大木の根を橋の代わりにして湖を超え、リオンは大木をじっと目を凝らして見詰める。
何本もの太い幹が絡まった大木の隙間から、光りが漏れていた。
「ここか……」
リオンがその隙間に手を突っ込むと、めりめりと音がして、隙間が広がっていく。
隙間が人の通れるほどの大きさになると、リオンはまず女神をその隙間に押し込み、そして自分も入る。
2人が中に入ると、すぐに隙間は閉ざされた。
■
沈黙の沼の試練を乗り越えた俺達は、大木の生える湖の畔に到着した。
「近くで見ると……びっくりするほど大きいな」
「上の方が全然見えないわね」
湖に張っている根も太く大きくて、木に触れられる場所に行くのに湖から出ている根を足場にしてもびくりとも揺らがなかった。
全員、大木の幹に触れられる場所に来たところで、俺はカディナから受け取った木の鍵をかざす。
すると、白く輝く扉が現れた。
「これが、光の遺跡に通じる扉ですのね」
「ああ。そして、この先が光の遺跡……」
そして、いよいよ光の遺跡に行こう、と俺が鍵を扉に差し込もうとしたときだった。
がさがさ、と草を掻き分ける音が聞こえた。
「リオ……!?」
リオンか、と俺達が振り向くと、そこにいたのはリオンと女神様ではなかった。
大きなモンスターが、俺達に向かって近づいてきている。
両手が頭と同じくらいの大きさのハサミになった、硬い殻を持つモンスター。
アヴァベルの塔にいたモンスターの中では、シザースターに似ていた。
「光の遺跡に行く前に、あいつを何とかしないとな……」
一直線に俺達に向かってくる姿は、どう見ても俺達を獲物として捉えている。
俺は鍵を仕舞うと、剣を抜いた。
そのままシザースターを迎え撃とうとしたが、何となく、木を傷つけてはいけないのではないか、という直感が過ぎった。
それは、俺の直感ではなく、鍵が教えてくれたのかもしれないけれど。
「皆、あいつを木に近づけさせちゃ駄目だ!」
「え、なになに、何で?」
「何となく、そういう感じがするんだ。この木を傷つけてはいけない、って」
「理由は分からんが、光の遺跡に行ける鍵を持ってんのはジークだ、何となくでも無視はできねぇな」
マキアが身軽に根を足場に畔に戻って行く。
そして槍を振ると、シザースターの注意を引き付ける。
シザースターがマキアにハサミを振り下ろしている間に、俺達も畔に戻る。
シザースターは、ハサミの攻撃や、後ろに回り込もうとすると尾を上下左右に振っての攻撃の威力が高い。
それに、前から突撃すると、ハサミでガードもできる。
しかし、横からの攻撃にはあまり強くないので、こちらのモンスターもその戦法で対応できるだろうと推測して動く。
「ジーク、挟み撃ちにしましょう!」
「ああ、ベル、グレイスも二手に分かれてくれ!」
「分かりましたわ」
「オレがこのまま引き付けとくから、挟み撃ちなら急いで頼むぜ」
正面にマキア、右から俺とグレイス、左からイーリスとベルが回り込む。
俺とイーリスが同時に斬りかかるとシザースターは尾を振るが、そのときには既に俺とイーリスは離れ、グレイスとベルがそれぞれ魔法と、エレメントで攻撃する。
ならばと俺達に頭と尾がくるように移動しようとすれば、今度はマキアが槍で頭を狙って突く。
ハサミで頭を守っている隙に、がら空きになった胴に俺達が攻撃。
殻が硬くてなかなか決定的なダメージを与えられないが、それでも、こちらが優位に戦闘を進めている。
湖に落ちないように足場を気にしつつ、それでもシザースターに前衛2人による攻撃、撤退、魔法の攻撃、撤退、その合間にマキアの攻撃で注意を引き付ける、というパターンを繰り返す。
シザースターがめちゃくちゃに暴れ出したら一旦全員が引いて、シザースターの体の向きに合わせてまた3方向に分かれる。
そして更に攻撃を続けていると、ぴし、と音がして、殻にひびが入ったのが見えた。
「よし、一気に攻めるぞ!」
俺の合図で、俺とイーリス、マキアが一斉にシザースターに飛び掛かる。
ハサミを横に振れば良いのか前に振れば良いのか、ガードすべきかと一瞬の躊躇いを見せたのが最後、全ての攻撃がシザースターに直撃する。
シザースターは尾を左右に振って暴れるが、その攻撃の届かない範囲からベルのエレメントがビームを放ち、グレイスの魔法が降り注ぐ。
その攻撃はシザースターの殻を破壊した。
シザースターは、大きく全身で跳ねた後、ころり、と横に転がった。
「ふう……殻、すっごく硬かったねー?」
「ちょっとでもヒビが入れば後は楽なんだけどね。あと、アヴァベルのシザースターよりも動きが早かったわね」
もうシザースターが動かないのを確認して、俺達は改めて大木の前で木の鍵を使う。
再び現れた白い扉に鍵を差し込むと、扉が放つ光が一瞬強まった。
その光はすぐに消え、俺達の目の前に、白い、光っていると錯覚しそうなほどに白い城壁に囲まれた城が現れた。
しかし、よく見ると、城壁の下の方は草が飛び出していたり、壁が崩れかけている部分があったりと、長い間手入れされずにいたことが見て取れる。
「本当に、光っているみたいだ……」
「こりゃ隠されるわけだ、普通に行けるような場所にあったら、目立ちすぎて真っ先に何かないか捜索されるだろ」
「確か、カディナは、分かれ道や曲がり角では、必ず道のない方の壁を調べろって言ってたよな?」
「ええ、道に惑わされないよう、注意して進みましょうね」
全員で進み方を確認してから、城壁に沿って歩いて入り口を探す。
すぐに門は見つかり、ぎしぎしと音を立てる門を開けて俺達は中に入る。
光の遺跡の中も白くて、外から入る光を反射するだけで眩しいほどだった。
「モンスターがいる気配は……ないな」
モンスターが中に入り込んでいれば、鋭い爪で床が激しく傷ついていたり、大きな体躯を物ともせず進んだせいで壁が変な傷つき方をする。
だけど、光の遺跡の中は、植物が少し生えていたり、風雨にさらされて少し汚れが見えるが、実に綺麗なものだった。
闇の遺跡のようにモンスターに襲撃される心配はしなくて良いだろう、と俺達は安心して進んでいく。
ただし、奥に進ませないように、色々と罠は仕掛けられていた。
壁から飛び出す矢だとか、上から落ちてくる天井、落とし穴もどき、だったり。
更に、分かれ道と曲がり角にしかけられた魔法もあった。
しかしそれは大した脅威ではない、カディナに言われた通りに、道ではない場所の壁を調べていくと、必ず壁が水面のように波打つ場所が見つかる。
臆せずそこに身体ごと突っ込めば、本当の道が現れるという寸法だった。
だから、物理的に攻撃してくる罠の方がよほど注意が必要で。
「わっ……!」
「ちょっとジーク、足元気を付けてよ!」
「そんなこと言われても、どこが罠かなんて分からないんだ!」
「まあまあ、落ち着いて、慎重に行こうぜ」
「そうですわ、今までの罠は全部が死ぬような危険なものでも無いようですし」
「全部がってことは一部には危険なのも混ざってるってことだけどねー☆」
そう騒ぎながらも、俺達は着実に奥に進んでいく。
何度、隠された道を探し当てたか数え切れなくなった頃、突然道が終わり、ホールのような場所に出た。
広く、天井の高いホールの先には、大きな両開きの扉がある。
「神殿、に似てますわね」
「ここに、光の器があるのか……」
「だと良いけど、また闇の遺跡のときみたいに隠し神殿があるかもしれないわよ」
「とにかく、入ってみようよー」
そうだな、と頷いて扉に近づいた俺は、その扉の錠が壊されていることに気が付いた。
それも、つい最近。もしかすると……。
既にリオンと女神様がいるかもしれない、という予感に背を押され、俺は急いで扉を開けた。
すると、扉の前のホールよりも更に広い空間に出る。
高い天井の近くに小さな窓が並んで、そこから入る光を白い壁が反射し、灯りがないのにそこはとても明るかった。
そしてその奥に、金色の祭壇がある。
祭壇の上には白く輝く器があった。
だが、それよりも、その器に手を伸ばしている人物に、俺達の視線は真っ直ぐに向かっていた。
「リオン!」
俺が名前を呼ぶと、リオンはハッとした顔をして、すぐに輝く器を手に取った。
「リオン、駄目だ! 魔王になんて……」
「うるさい!」
リオンは光の器と闇の器を祭壇の陰に置き、女神様を拘束していた紐を祭壇の柱にぐるぐる巻きに縛り付けた。
「ジーク、それに皆……もう、光の器も闇の器も僕が手に入れた。僕が魔王になることを邪魔するのは、後は君達だけだ。だから、このまま立ち去ってくれないか」
「それは……できない。俺達は、魔王を封印して、この世界を救うためにここまで来たんだ。それに、リオンは、俺達の……仲間だ。だから、魔王になんてなってほしくない。頼むから、器を手放して、女神様を解放してくれ」
「……交渉決裂、だね」
言うなり、リオンは俺達に斬りかかってきた。
柄に手を掛けているのは見えていたが、あまりにも早い動きに、避けるのが精一杯だった。
「僕の邪魔をすると言うなら、君達を……排除する」
俺達に向かって剣の切っ先を向けてくるリオンに、俺は、ただ殺されるつもりもなく。
何とかリオンから武器を奪って無力化できないかと思いながら、自分の武器を手にしていた。